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2011/08/11

三十七回忌

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我々の記憶にも新しい911。そしてそれに次ぐ311。

テロと震災、比べるべくも無いが国境を越えて大きな悲しみに包まれた出来事。

 

戦禍と災害その規模こそ違えど、8月6日は国民的に忘れ得ぬ広島平和記念日。一方この日は、津軽の災害史上戦後最大の被害となった百沢土石流災害の日。

 

灼熱の8月6日、親父様の37回忌を迎えた。

思い返せば昭和50年の夏も少雨。
恵みの雨と喜んでいた父の声色が懐かしい。
シトシト雨が次第に強まり、枕もとのラジオが聞きづらくなったのは11時過ぎ。

自宅前の小川(幅員1mにも満たない)が災害元「蔵助川」だった。

②高校生の兄がキャンプ旅行に大型の懐中電灯を持ち出し、家には小型の物しかなかった。

③懐中電灯を借りに行かされた先でも、豪雨&雷鳴で時間を要したこと。

諸々のおかげで生かされた。今ある自分に感謝。。

そうした今、テレビや新聞で伝えるのは「広島原爆忌」とおさまらない「福島原発震災後遺症」のニュースのみ。

 

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確かにこの36年で木々は成長し、慰霊の『慈母観音像』は県道を走行する車窓からは見えなくなってしまった。

当然そうした悲劇を知る人間も少なくなり、8月6日の「合同慰霊祭」出席者も遺族・関係者より町会関係者の方が多いほど。

 

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そうしたあれこれを、如実に現しているのが上の写真。

被災時、同等の流水に耐えるように設計されたであろう水路も、木々が繁茂し、設計時の能力が保たれていないこと歴然。

 

 未だ“災害”の真っ只中に身を置く人々を思うと心が痛む。
そうした思いを共有し、一刻も早い復興を期待したい。

 

“災害経験に勝る災害対策は無い”ということも併せて肝に銘じなければなりません。新たな災害を検証することももちろん大切ですが、過去の災害史・その惨禍を忘れることなく、伝承していかなければならないことを切に思います。

 

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2011/08/04

幌尻岳

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2011の夏山遠征は、’05年のトムラウシ&大雪以来の北海道。
前回は賑々しく歩いた北の山、今回は寂しく一人旅。

でも、心強いかな・・・? 東京3人組と足並みそろえての山行となる。

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幌尻のはじまりは、ここ「とよぬか山荘」から。
廃校になった校舎と職員宿舎を利用した簡易宿泊施設で、夕食のジンギスカン+登山者用朝食おにぎり4個で1泊5000円也。
何より登山用シャトルバスの起点になっているため都合がよろしい。

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小1時間で登山口へ。
ここには簡易休憩室とトイレが置かれ、下山者が最終バスに乗り遅れた際は宿泊も可能かな? これを見て、少しだけ気が楽になった。

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豊糠林道を歩くこと1時間あまり、北海道電力の取水施設到着。ここからは林道も終え、沢用の履物に替えて入渓する?

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巻き道、ヘツリが基本。時にはこうした鎖場もあり。同じバスに乗り合わせた面々を抜きつ抜かれつ・・・こうして、登山者同士の連帯感がアップするup

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この日は膝丈の水流だったが、腰高の際は通過できないこともあるらしい。
普段から水平突破を基本としているため濡れることを厭わないが、飛び石伝いに歩こうとする人ほど転倒→怪我のリスクが高い。

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4時間弱で「幌尻山荘」へ到着。
ここは有人避難小屋。 宿泊協力金1500円だが日中の入室が制限され、就寝時によおうやく利用することができる。 この日は19時には消灯前のトイレ利用が促され、19時30分には完全消灯になった。

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翌日? 1時頃から周囲のザワメキで目覚めてはいた。

宿泊者50人弱のうち、俺より高齢な皆さんは1時には出発されたようだ。
俺らは予定どおり3時にヘッドライトを灯しスタートする。

4:10頃、稜線に出て最初に目にした日高の山並み。
正面の尖がりは「北戸蔦別岳」だというのは、山頂到着後に知る。

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5:03 「命の泉」
この直前に朝食休憩をとったことが悔やまれる。
まさに命に染み入る名水。

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△1750付近。 ようやく風通しも良くなる。

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稜線上に見えるのは騒がしかったGグループかな?
それにしても、昨夜小屋に居合わせた人間しかこの山域に居ないってことだ。

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6:50 「新冠コース」分岐。

この間はカール状の地形を眺めながら快適な尾根歩き。
お花畑も広がるが、時期的には微妙? チョット盛りを過ぎているようで、以前トムラウシで目にしたお花畑ほどではないかなsign02

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6:55 日高山脈の盟主「幌尻岳」山頂へ。
次第に雲がかかりイマイチの展望だが、雨に当たらなかっただけでも幸いか?

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下山時・・・左の稜線の向こうには雲海が広がる。

もう少し準備(勉強)してくるべきだったなぁ~
せっかくの山並みを同定できず残念だった。
加えて、次回は稜線上でもビバークできるぐらいの備えで来たいなぁ。。。

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2011/08/03

オヤジの夏休み

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’11 Q太郎の夏休みは、夏山遠征を兼ね独り北の大地へ。
北海道の山は6年前の夏山遠征以来・・・前回は3人での山旅だったが、諸般の事情で今年は独り旅になった。

それを良いことに、初日は予てから訪ねたいと思っていた江差町。
北海道に和人が住み着いた地としては最も古いのだとか・・・北前舟による交易、鰊漁に湧いた昔日を偲ばせる『江差いにしえ街道』を探索。

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JR江差駅からテクテク歩き、最初に目に付いたのは『開陽丸』。
幕末期、立志伝中の諸々を乗せ活躍したが当地で座礁沈没。
展示の船はオランダの設計原図を取り寄せ復元したものだが、船内には海底から引き上げられた遺物多数が陳列されている。

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次いで築160年以上の『横山家』。
初代からは200年以上のが歴史あり、永く漁業・商業・廻船問屋として栄えたらしい。
有料見学施設&そば屋。昼時でもあり鰊そば(900円)を頂きましたがcatfacedown

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それにしても綺麗に保存された景観がスバラシイ。
それもそのはず、保存家屋のはそれぞれこうした(↑)プレートが張られていた。
この街道の整備に10年を要したのだとか。。

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無料休憩所に当てられている建物ですらこんな趣きあるもの。

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江戸時代から海産物の仲買商を営んでいた『旧中村家住宅』。

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明治20年、檜山郡役所兼江差警察庁舎として建設されたそうだが、それより面白かったのが正面に写る松。
「土方歳三歎きの松」と呼ばれ、榎本武揚とともにこの場で開陽丸沈没を見た土方はこの松を拳で叩き嘆いたそうだ。その後松には瘤ができ、曲がってしまったという伝説があるらしいらしい。

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俺の江差旅のメインイベントがここ『齊藤籠店』。 遠い親戚筋にあたるらしい。

昨年、図書館で目にした郷土史。
史中にあった自身のルーツに関する記述を探っていくうち、偶然発見したのが明治期に江差へ渡った祖父の長兄。
残念なことに3代目も既に亡くなっていたが、突然の訪問者である俺を旧知のように招き入れ、お話を聞かせて下さった奥様に感謝。感謝。。
あげく翌日からの幌尻登山をあんじ、西表黒糖などを土産に頂きました。

郷土史はもちろん、その後のアレヤコレヤ・・・インターネットって素晴らしい。

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