三十七回忌

我々の記憶にも新しい911。そしてそれに次ぐ311。
テロと震災、比べるべくも無いが国境を越えて大きな悲しみに包まれた出来事。
戦禍と災害その規模こそ違えど、8月6日は国民的に忘れ得ぬ広島平和記念日。一方この日は、津軽の災害史上戦後最大の被害となった百沢土石流災害の日。
灼熱の8月6日、親父様の37回忌を迎えた。
思い返せば昭和50年の夏も少雨。
恵みの雨と喜んでいた父の声色が懐かしい。シトシト雨が次第に強まり、枕もとのラジオが聞きづらくなったのは11時過ぎ。
①自宅前の小川(幅員1mにも満たない)が災害元「蔵助川」だった。
②高校生の兄がキャンプ旅行に大型の懐中電灯を持ち出し、家には小型の物しかなかった。
③懐中電灯を借りに行かされた先でも、豪雨&雷鳴で時間を要したこと。
諸々のおかげで生かされた。今ある自分に感謝。。
そうした今、テレビや新聞で伝えるのは「広島原爆忌」とおさまらない「福島原発震災後遺症」のニュースのみ。

確かにこの36年で木々は成長し、慰霊の『慈母観音像』は県道を走行する車窓からは見えなくなってしまった。
当然そうした悲劇を知る人間も少なくなり、8月6日の「合同慰霊祭」出席者も遺族・関係者より町会関係者の方が多いほど。

そうしたあれこれを、如実に現しているのが上の写真。
被災時、同等の流水に耐えるように設計されたであろう水路も、木々が繁茂し、設計時の能力が保たれていないこと歴然。
未だ“災害”の真っ只中に身を置く人々を思うと心が痛む。
そうした思いを共有し、一刻も早い復興を期待したい。
“災害経験に勝る災害対策は無い”ということも併せて肝に銘じなければなりません。新たな災害を検証することももちろん大切ですが、過去の災害史・その惨禍を忘れることなく、伝承していかなければならないことを切に思います。
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全中バスケットボール大会の応援で新潟へ。
結果は予選リーグ敗退。
娘の泣きじゃくる顔を見るのは切ないが、彼女にとっては貴重な経験になったはず。
試合後は長岡市のホテルへ。




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